michael-angeの日記

鬱の闘病経験と得たもの、心の形について、気が向いたときに書きます。

自律神経失調。全身の不調は検査で異常が出ない。

この記事は100%私の推論である。

離婚した頃から、動けない日は布団から出れないことが多くなっていた。

脳の調子がおかしくなると、神経伝達に支障をきたすらしい。

わたしに現れた症状は
・食べると腹下り
食欲はあまり落ちた記憶はない。
代わに、食べて直ぐに下痢になる。腸が過剰に反応し過ぎる。
酷い日は茶色い水だ。野菜や海藻類なんかは、結構そのままで全く消化されていない。
多い日は、1日に5-6回ケツから水。

・めまいと動悸
人は立ってる状態から座り、横になると血を高く上げる必要がないので、血圧が下がります。
逆のパターンは、動作に合わせて血圧が上がります。
これが上手く働かないので、寝ようと思っても、心臓がばっくんばっくん‼‼激しく脈打つ。長いときは二時間くらい収まらない。
逆に立ち上がっても血圧が上がってこないので、立ちくらみや顔が血の気がひいて寒い。
健康な人は、脈拍が60-70。あたしは80-90。
慢性疲労で衰弱すると、体を生かすために脈拍の数字は上がるらしい。

・むくみ
なぜか腎臓の動きが悪くなる。
おしっこが全く出ないわけではない。でも、量が少ない。
おしっこが出ないのだから毒素が体に溜まり倦怠感となる。
床の上に座ると、床に付いている下側の筋肉が痺れる。イスに座って足を組むと、下の足が膝から下が3分で痺れる。
常に浮腫んでいるので足先が激痛。
ホステス勤めなので、昼間は極力水を飲まない。仕事中は酒に酔って気持ち悪くなるわけではなく水分が体に溜まりすぎて気持ち悪くなる。
突然発汗が止まらなくなると、お客さんに言い訳するのに苦労した。

思い付いたものはこんなところかな。

腸の検査や心電図、腎臓の検査もしたが、異常はなし。
鬱は怠け者と言われる由縁。
臓器は異常なしだが、電気信号がうまく機能していないため内臓の動きがおかしくなり調子が悪くなる。

ほかにもいろいろあったと思います。

我が子たちとの別れ

離婚後半年、子どもたちを旦那さんに託す決意をした。

子どもたちは4歳と2歳になる年だった。


母親が我が子を手離す理由。

簡単なことだ。

一緒にいると殺してしまうから。


意味は広い。

単純に、生活苦や鬱のマイナス思考から心中のことばかり考える毎日。

原因不明の身体的苦痛、自己嫌悪に支配された精神。働いてはいたが減っていくお金。

ママ友とは勝手に交流を断ち、親族は遠い群馬県

明るい未来を考えることはできなかった。


心中を思い留まり続けることができたとして、幼少期の環境が子どもの精神に大きく影響を与えることは、私が身をもって良く解っていたので、常にイライラや悲しみを溜め込んでいる母親に育てられるのでは、心が死んでしまうことも解っていた。


娘はとてもいい子だった。

大人しく素直でわがままを言ったことがない4歳。

息子はマイペースでよく寝ている赤ちゃんで手がかからない。


私は育児の中で、絶対に怒鳴らないと決めていた。それが大きなストレスになっていたが、怒鳴ることは子どもたちの怖がりな性格にはマイナスでしかない。


私は、中学に上がる頃に母にすてられ、父にはネグレクトを受けていた。

育児を助けてもらえる関係にない。


旦那さんの家は、義両親が元気で健在。旦那さんの兄も弟もいる。わんこも4匹。

賑やかで大事にしてくれる人がたくさんいる。

子どもたちが愛しくて愛しくて仕方ないのに、全く言うことをきかない体と心を呪った。


愛しくて愛しくて仕方ないから、私の凶刃から守りたくて、旦那さんに託すことに決めた。


とても辛かったはずなのに、子供たちと一緒の最後の晩すら、どう過ごしたのか、どう別れたのかさえ覚えていない。


抗うつ剤に汚染された脳みその怖さ。

でも飲んでいないと、生きていられない(と思い込んでいた)のだから、仕方がない。



離婚後2ヶ月。3.11

闘病中の記憶が曖昧な私は、離婚後どう生活していたのか覚えていないことが多い。


よく覚えているのは、東北の震災である。

千葉県の太平洋側に住んでいたので、本震の後の余震も長いこと続いた。

とても神経質で怖がりだった娘は、私から離れなくなった。洗濯物を干すにもトイレに行くにも、何をするにも常にべったり。

自分の体と心が思うようにいかないなか、これは大変なストレスだった。


余震も震度3や4が当たり前。それが毎日なように起きるのだから3歳の子どもが普通に過ごせるわけがない。


誰が悪いわけでもない。

しかし、不運にも母子家庭手当が下りないことになったことも助けて、私の衰弱は進んでいくのだった。

離婚

発病してから1年。
旦那さんも消耗し、やつれていた。
神経質に磨きがかかってもいた。

私はというと、旦那さんに嫌気が差していた。
子供の世話はしてくれるが、子供と遊んではくれない。休日も平日も、私は子供たちと離れてリフレッシュする時間が無かった。

加えて、旦那さんは息子を抱き上げることはしなかった。

最初にできた子供を堕胎してくれ、と土下座した旦那。
お腹の中の赤ちゃんが男の子と判るとがっかりした旦那。
1年の坑うつ剤模索期間のうちに、自分が分からなくなり疲れきっていた私は、旦那さんの嫌なところばかり見るように。

この人は子供達を、特に息子のことを愛してくれていない。

そうとしか思わなくなった私は離婚に突き進んだ。

頼れる家族もいない鬱を抱えた者が、幼児二人を抱えて生きることの厳しさを全く考えずに。

なにがしんどいって、とにかく自分が情けないと感じること

鬱の症状は人それぞれだろうが、ほとんどの人が酷い倦怠感を抱えているだろう。

猛烈な運動をしたわけではない。
激務な仕事をこなしたわけでもない。
意味もなくダルくて動けないのだ。

寝床に引っ張られているのでは?と思うほど起き上がれない。
首を持ち上げるのも一苦労。
やっと座っても、体重が5倍にも10倍にも感じ、立ち上がれない。

目の前に幼い我が子達がいるのに、動けない....
やっとの思いでご飯をあげてオムツを換えて。遊んであげたいのにソファーに倒れこむ。
娘にはNHK教育テレビ

こんなはずじゃない。
もっとたくさんしてあげたいのに、一緒の時間を過ごしたいのに....体と頭が動かない。

心底情けなくなり自分を責める。
負のスパイラルだ。

幸いなことに、旦那さんはなんでも家事をこなす人である。仕事から帰ると、夕飯を作り子供たちに食べさせお風呂も入れてくれ。後片付けまでしてくれる。
ありがたかった。
しかし、「お風呂に入るのも辛い、がんばって入るから髪や体を洗ってほしい。」とは、1度も言うことが出来なかった。
申し訳なくて情けなくて、言うことが出来なかった。

がんばって立ち上がり、がんばって服を脱ぎ風呂場へ。
がんばって髪を洗い休憩。がんばって湯船から出てがんばって体を洗う。
消耗して水圧が苦しくなるので、湯船に浸からずがんばって体を拭き、脱衣場でパジャマを着る。

スキンケア?歯磨き?
知らね。

情けなくて落ち込むことが増えると自己否定へ向かうのである......

命は100%自分のもの。自殺は自由。

よく、「自殺なんて馬鹿なことはやめろ」と言う人がいるが、精神疾患を抱えた人たちにとっては馬鹿なことではなく真剣なことである。

それほど生きているのが辛く苦しいのだ。
(肉体的精神的苦痛。社会的経済的苦痛などなど)

死ぬことの恐怖を超えた辛さを抱えながら生きている。
生きていることが奇跡だ。

我が子に死んでほしくない!
両親に死んでほしくない!
恋人に、友人に死んでほしくない。

なぜ?
それは自身の喪失感の怖さ故であり、100%本人を想っての気持ちではない。

きっと治る!楽しい未来が!
そう思うなら、最新の治療が受けられるアメリカに渡るお金を出してくれるのか?
本人にも解らない心の構造を理解し根治まで導いてくれるのか?
半端な気持ちで、希望を語らないでほしい。

自殺は周りを不幸にする悪いこと。
する側が悪いのか?
不幸になる人たちは、自殺した人を本当に心底元気になってほしいと願い行動していたのか?

私は、そういった人がいる人は死を選ばないと思う。

とにかく、自分の命は自分のものであり自殺を否定しない。(すすめもしない)
ただ、殺るなら本当に人に迷惑をかけない方法をとるべきである。
そう考えると、都会はなかなか死ねる場所はない(苦笑)

自分に合った心療内科と坑うつ剤に出会うまでの苦労

初めはこれに苦労する。
発病して数年も経てば、精神の病気の知識も付くが最初は解らないことだらけである。
でも、医者に行って薬を飲めば治ると思う。

そんな甘いものではなかった。

最近の事情はわからんが、10年近く前の心療内科は金儲け主義の医者が多かった。
そうでなくても最新の精神医療の知識を勉強し続けている医者は少なかったことだろう。
膨大に増える薬の種類、多様化する精神疾患

私は、判断力が鈍っていたり人とのコミュニケーションに自信を無くしている状態で医者を探し(そもそも良い医院は新患を受け入れられないほど患者がいっぱい)
気分を安定させるにはどの薬をどの量飲めばよいかにたどり着くのに、1年かかった。

酷く落ち込んだり、あり得ないほど短気になってイライラしたり。
子供が2歳と0歳だったので、イライラをぶつけないよう耐えるのが1番辛かった。鉛のような体と思考で通院も一苦労。

薬を模索しているときは、本当の自分の性格が分からなくなり、全てが信じられなくなる。

「今見て考えていることは、感じていることは、本当に私の思考なのか?薬で操作されている薬のせいで出来た人格が考えていることじゃない?」

自分の感覚すら信じられなくなるのだから、医者に言ったって状態を正しく伝えられていたのかも怪しいものだ。

この1年は、病を良くしたのか悪化させたのか?今思い返すと悪化させたとしか思えない。

今の私なら、薬は飲まず、ストレスから逃げる。
(ストレスについて、そのうち書こう)
それが最短で立ち直る術である。
大切なものを失っても、治ることを選ぶ。

あんな地獄の日々を過ごし生きた屍になるより、早く立ち直りやり直す方が、人生の損失は小さくてすむから。

私は、死にたくない。