michael-angeの日記

鬱の闘病経験と得たもの、心の形について、気が向いたときに書きます。

原因不明の大出血。他人に命を救われる③

翌日、無事目が覚めた。

布団が少々赤いが生きてたことに安堵。

とりあえず水分を摂らなければ....立ち上がると、とんでもない目眩に襲われて直立できない。

当たり前ですわな。

そのあと3日間は、まともに歩けなかったのを覚えている。

数日間は自分のことしか考えられなかったのだが、ふとAさんのことが気になり連絡してみた。

やっぱり車のシートがダメだったみたいで交換になったらしい....奥さんにも何事か!?とたくさん怒られたようだ。
それなのにAさんは終始
「命が無事でよかった」と。

トータルでかかった費用も教えてもらえなかった....。

あの日、Aさんと会わなければ、自分の部屋で出血死していたことだろう。

Aさんにも感謝しかない。

鬱のお陰で、判断を迷い間違え、変な彼氏から逃げるのに手惑い、鬱のお陰でどん底貧乏。
この不正出血も堕胎手術の影響だろう。
S氏にはとんでもない目に遭わされたが、2ヶ月の間に二人の他人に命を救ってもらったこと、本当にありがとう....。

原因不明の大出血。他人に命を救われる②

仕方ないのでとりあえず内科医がいる(苦笑)病院に搬送してもらった。
その最中も担架を真っ赤に。
車椅子にお漏らしシート敷いてもらい医者と対面。

内科医とはいえ、さすがに出血量くらい診るだろ?
と思いきや、なんにもせず「痛み止め出しましょう」で終了wwww

こんな状態で帰せない‼
とAさん激怒。
受け付けに詰めより、周りの街で婦人科医か外科医のいる病院を問い詰めてくれた。

すると25km離れた大学病院に医者がいることがわかった。
私は、ただひたすら申し訳なくて。

Aさんの車で大学病院に駆け込み、やっと処置が始まった。
「子宮の中が血の海だ‼何も見えないぞ!」
超音波を当てても血液が邪魔をし、何も映らないようだ。

処置中もドクドク出血しているのがわかる。
処置台の上で、さすがに意識がぼぉ~っとしてきた。
(どれくらい出たんかな....痛みがないのが救いだわ......あたし死ぬんかな?死んじゃったら仕方ないなぁ....

やっと子宮壁が見えたようだが、裂けているところもなく、どこから出血しているのか不明。

ためしに子宮収縮剤を投与。

輸血がいるかも、という事で血液検査をしたが、こんだけアホみたいにドボドボしていたのに、貧血数値が出なかったwww
看護士さんがとても驚き大笑いww

(海に入った時といい、あたし強すぎ)

処置後、出血は止まらなかったがかなり量が少なくなったので、入院推しをはねのけ、Aさんの車で帰宅した。

帰ってきたものの、その日の夜は生まれてきたなかで1番に怖い夜だった....

出血は止まっていない。
私は明日、目が覚めるのだろうか....

一人暮らしの怖さと、死にたくないと思える自分になっていることを認識した恐怖の夜だった。

原因不明の大出血。他人に命を救われる①

私はこの頃、あるサイト(ぶっちゃけ、出会い系サイトであります。)で闘病日記をつけていたのだが、なかなかのアクセス数と反響をいただいていた。
私は人と繋がりが持ててる。
と自信を持てる、唯一の場であった。

堕胎手術から1ヶ月後。
いつも日記にコメントをくれていたAさんが、「日頃頑張っているから」とランチに誘ってくれた。

当日、家を出るときに、「あぁ?生理なっちゃった」
ナプキンをあて、待ち合わせ場所に向かった。

Aさんと合流し習志野市の東京インテリアでウィンドウショッピング。

........なんかおかしい。血が垂れてくる感覚が酷すぎやしないか?

トイレに行ってパンツを下ろしてみたらびっくり‼‼
夜用ナプキンがものの1時間足らずで真っ赤に溢れ、パンツも真っ赤。
座ってるそばからボトボト血液が垂れ、便座も汚してしまった。
痛みはない。

何だ?これ....明らかに普通じゃない。

Aさんに訳を話して帰ろうとしたが、「救急車呼ぼう‼」と。
きゅっ....きゅきゅ、救急車なんて呼べませんよぉーー‼‼全財産10000円以下なんですからぁ‼

そこは、日記を読んでくれていたAさん。

お金のことはいいから、とりあえず呼ぼう!
と言ってくれた。

程なくして救急車が到着。
隊員さんに状態を話すと驚きの答えが帰って来た。
「現在の習志野市管轄の病院は内科医しかいないのですが、よろしいでしょうか........?」

運悪いことに、この日は祝日だった。

2度目の堕胎

責任能力はない②で書いた彼氏だったS氏。
とっても子煩悩な人だったのだが、職人気質でたまに怒鳴ることがある人だった。

精神が衰弱し、とてもビビり性な私には、彼のそんなところが辛く、加えてかなりのお金のルーズさに食いつくされると思い、別れを切り出し、引っ越して都会に一人暮らしを始めた。

その1ヶ月後。
妊娠発覚。

S氏は、コンドームを使ってくれない人だった。
1年近く出来なかったのに今出来るのはおかしい、手術費用は出さない‼と言い出す始末。

途方に暮れた。

唯一交流のある、鬱の闘病をしている友人が手術費用を貸してくれることになった。
これは、本当に助かった....。他人の優しさに心底感謝した出来事の1つである。

今思い返すと、本当にありがたいことだったと感じる。普通知り合って半年の人に6万も貸さない。

無事手術を終えると、体の辛さや命を殺した罪悪感より、安心感のほうが何倍も大きかったのを覚えている。

その証拠に、元旦那さんとの最初の子供の時は、手術日も出産予定日も覚えているのに、この子のことは日付は全く覚えていないのだ。

可哀想な子だな。
申し訳なかった。

祖父母と決別

生きようと決めたのはいいものの、あい変わらず体は言うことをきかず、睡眠もままならない日々。

勤めていたキャバクラが経営難で給料回収できず近所のスナックに転職したが、生活は苦しい一方。
自分の薬代もままならない。

初めて父にSOSの電話をした。
返事は群馬の祖父母のところに行けというものだった。
4月になっていた。

初孫だからか、祖父母は療養同居を歓迎してくれたが、50歳離れている祖父母に鬱病の理解を得ることはとても難しく無自覚な悪意の言葉で病状は悪化。
寝れない上に起き上がれない日が増えた。

ちょうど、元旦那から養育費を請求され出し、愕然。祖父母は◯◯くんがそんな事言ってくるわけがない!と言い張り信じてもらえず。
半月と持たずに、千葉県の別れたい彼氏の元に逃げ帰ったのだった。

(駅構内で2回ほど倒れた。)

自分を殺したかった日、生き延び生まれ変わった日。

話は少し遡る。

夜叫症の薬を飲むようになる前。
私は入水自殺を試みたことがある。

子供たちと離れ、地獄の日々に支えを失い、自己嫌悪の嵐。生きていることが途端に耐えられなくなった。

全身の痛み辛さ、心の崩壊、眠れば悪夢。

どうしたら死ねる?
電車?周りに迷惑。
飛び降り?高い建物がない笑。
首吊り?家が、部屋が可哀想。
薬?同上
一酸化炭素中毒?同上。車内は見つけてくれた人に悪い。
樹海?遠い。

......海だ。

時期は12月。
思い付いたら早かった。
元旦那と子供たちに、涙を流しながらただひたすら謝罪にまみれた遺書を書き、よく沈むように服を着込みジーンズにスニーカー。

海までは地味に15kmくらいあったと思う。
車だと直ぐに世間に見付かるので、夜の10時に自転車で家を出た。
が、後輪がパンクw

げんなりしたが、そんなことよりこの世に居たくないので、フラフラな体で必死に自転車をこいだ。
人間は、本当に死ぬ気になればなんでもできます!

何時間かかったのか?
携帯は家に置いてきたので時間はわからない。

真っ暗な冬の海。波の音。
遠浅の砂浜が永遠と続く九十九里はとても美しい。

誰もいないことを確認し、海に入ってみる。
......暖かい。

厳密には、刺さる冷たさである。
が、この世界で生きていくことの方が遥かに辛く冷たい現実にしか感じない。
海の存在がとてつもなく暖かく感じた。
やっと楽になれる....

肩までの深さまで歩いてきたその時。
「おぉーーいっ‼‼」

‼‼‼‼人の声?

岸のほうを見ると、人の姿が見えた。

なぜ?こんなド田舎のこんな時間に人が....。
今は真冬。追ってこられたら困る。なにより、人に見られたくない。

愕然とし、岸に引き返した。
死ねなかったショックは多きく、全身ぐしょ濡れでとにかく自転車まで遠かった。

今日は帰ろう....。

帰りはとにかく寒く辛く悲しく、行きの何倍もの距離に感じた。
しかし、パンクした自転車で15kmだ。
私は気持ちが強いらしく、家までたどり着くのだからすごい。

鍵は開けっ放しだった。

玄関に服を脱ぎ捨て、砂だらけのまま布団に倒れこみ、体温を測ったら33℃
低体温症で死ねるんじゃね?
なんて期待と共に意識が飛んだ。

結論から言えば、こうして生きているわけで。
なんと、翌日には35℃まで回復し風邪もひかずww

自分の頑丈さと精神の強さに呆れ、大自然に死を拒絶されたように感じ、生きよう!と腹をくくったのであった。

不眠症と夜叫症、これって幽体離脱?

発病してから1年経った頃には、不眠症が始まっていた。

暗くして静かに布団で過ごしていても、全く寝れない。目が冴えている。
そもそも、自分の動悸が激しくて苦しいし足は痺れてるし。
以前はどうやって寝ていたんだっけ?
こんなことをよく思っていた。
寝れたとしても、とても些細な音で目が覚めてしまう。熟睡している時間はあるのか謎だ。

薬事法で処方できる睡眠薬の2倍の量を飲んで、1日の睡眠が03~5時間。

寝れないなら時間を有効活用....落ちた体力と気力では何もできんw
しかし、時間は残酷なほどたくさんある。
頭で考えなくていい単純な携帯ゲームをしたり、物事を理解するのに苦労するので、好きなアニメを何度もひたすら視る。

そのうち、寝付けても必ず悪夢を視るようになる。
親族がみんな出てきて子供たちと共に私のことを責め立てる。
そうかと思うと、目やら鼻・口から血を流しだし苦しみもがく。
私は、はじめのうちはしゃべれるのだが、直ぐに声がでなくなり、どんなに叫んでも意思は伝わらず。

私の夢のすごいところは、全てがリアルと変わらないのだ。
触覚・味覚・痛覚・嗅覚・色彩(視覚)
悲鳴あげながら泣いて起きたことが何度あったか。
心が打ちのめされ衰弱が進む。

空を飛ぶ夢もたくさん見た。
見える光景が住んでる町そのものだった。
(伯母いわく、脳みそが水分で溺れてると、飛ぶ夢をよく見るとか。内臓が浮遊してる感覚とかリアルで、ガチ幽体離脱だったのでは?w)

驚いたのは、夢で声が出ない分、現実の私はしゃべりまくっているらしいwwそれが夜叫症という。

この頃には衰弱が進み、電化製品の電磁波すら頭に響きがんがん痛むため、冷蔵庫の電源を切った。

寝床は癒しの場所ではない。孤独と恐怖の場所。
ただ、寝床にいることしかできなかった。

お医者さんが気づいて、薬を出してくれるようになってから、睡眠の質が向上。
安定して5時間くらい寝れるようになり少し楽になった。