michael-angeの日記

鬱の闘病経験と得たもの、心の形について、気が向いたときに書きます。

我が子たちとの別れ

離婚後半年、子どもたちを旦那さんに託す決意をした。

子どもたちは4歳と2歳になる年だった。


母親が我が子を手離す理由。

簡単なことだ。

一緒にいると殺してしまうから。


意味は広い。

単純に、生活苦や鬱のマイナス思考から心中のことばかり考える毎日。

原因不明の身体的苦痛、自己嫌悪に支配された精神。働いてはいたが減っていくお金。

ママ友とは勝手に交流を断ち、親族は遠い群馬県

明るい未来を考えることはできなかった。


心中を思い留まり続けることができたとして、幼少期の環境が子どもの精神に大きく影響を与えることは、私が身をもって良く解っていたので、常にイライラや悲しみを溜め込んでいる母親に育てられるのでは、心が死んでしまうことも解っていた。


娘はとてもいい子だった。

大人しく素直でわがままを言ったことがない4歳。

息子はマイペースでよく寝ている赤ちゃんで手がかからない。


私は育児の中で、絶対に怒鳴らないと決めていた。それが大きなストレスになっていたが、怒鳴ることは子どもたちの怖がりな性格にはマイナスでしかない。


私は、中学に上がる頃に母にすてられ、父にはネグレクトを受けていた。

育児を助けてもらえる関係にない。


旦那さんの家は、義両親が元気で健在。旦那さんの兄も弟もいる。わんこも4匹。

賑やかで大事にしてくれる人がたくさんいる。

子どもたちが愛しくて愛しくて仕方ないのに、全く言うことをきかない体と心を呪った。


愛しくて愛しくて仕方ないから、私の凶刃から守りたくて、旦那さんに託すことに決めた。


とても辛かったはずなのに、子供たちと一緒の最後の晩すら、どう過ごしたのか、どう別れたのかさえ覚えていない。


抗うつ剤に汚染された脳みその怖さ。

でも飲んでいないと、生きていられない(と思い込んでいた)のだから、仕方がない。