michael-angeの日記

鬱の闘病経験と得たもの、心の形について、気が向いたときに書きます。

2度目の堕胎

責任能力はない②で書いた彼氏だったS氏。
とっても子煩悩な人だったのだが、職人気質でたまに怒鳴ることがある人だった。

精神が衰弱し、とてもビビり性な私には、彼のそんなところが辛く、加えてかなりのお金のルーズさに食いつくされると思い、別れを切り出し、引っ越して都会に一人暮らしを始めた。

その1ヶ月後。
妊娠発覚。

S氏は、コンドームを使ってくれない人だった。
1年近く出来なかったのに今出来るのはおかしい、手術費用は出さない‼と言い出す始末。

途方に暮れた。

唯一交流のある、鬱の闘病をしている友人が手術費用を貸してくれることになった。
これは、本当に助かった....。他人の優しさに心底感謝した出来事の1つである。

今思い返すと、本当にありがたいことだったと感じる。普通知り合って半年の人に6万も貸さない。

無事手術を終えると、体の辛さや命を殺した罪悪感より、安心感のほうが何倍も大きかったのを覚えている。

その証拠に、元旦那さんとの最初の子供の時は、手術日も出産予定日も覚えているのに、この子のことは日付は全く覚えていないのだ。

可哀想な子だな。
申し訳なかった。