michael-angeの日記

鬱の闘病経験と得たもの、心の形について、気が向いたときに書きます。

重度鬱の人に責任能力はない②

覚えてる限りでの、私の失敗ばかりのあり得ない判断。(全て離婚後

・当時の彼氏(S氏)に通勤車を買ってあげる。
・S氏にクレジットカードの名義を貸す(使い込まれて後に返済に追われる
・生活費としてもらったお金で、彼氏に言われるがまま犬を買う
・母にあおられて元旦那とやり直し裁判をして、多額の弁護士費用を国に借金
・対人恐怖症発揮で、年金控除の申請をサボる

などなど。

思い返すと異常過ぎて言葉もない。
当時は真剣に考えていたつもりだから恐ろしい。

さらにびっくりなのが、闘病中の記憶があまりないということ。
よく鬱とは「頭にモヤモヤしたフィルターがかかっているような感じ」と例えられる。
が、本当にフィルターがかかっていたようだ。

再婚したときに、元旦那に息子が生まれてからの思出話をたくさん聞いたのだが、ほぼ覚えてない。
発症後1年は家族で暮らし、出掛けたりもしていた。
だが、ほとんど覚えていない。

闘病中の時間の流れも把握できていない。大きな出来事が何年の何月だったか。季節すら解らないことも多い。
親戚や知人たちとしたこと、してもらったこと、した会話。
ほとんど覚えていないのだ。(もちろん多大な迷惑をかけたことを覚えていないので信頼を失った)
戦慄だ。

闘病中は痴呆の老人の気持ちが解ると本気で思っていた。
本当に同じような状態だったのだろう。

責任能力があるわけがない。