michael-angeの日記

鬱の闘病経験と得たもの、心の形について、気が向いたときに書きます。

祖父母と決別

生きようと決めたのはいいものの、あい変わらず体は言うことをきかず、睡眠もままならない日々。

勤めていたキャバクラが経営難で給料回収できず近所のスナックに転職したが、生活は苦しい一方。
自分の薬代もままならない。

初めて父にSOSの電話をした。
返事は群馬の祖父母のところに行けというものだった。
4月になっていた。

初孫だからか、祖父母は療養同居を歓迎してくれたが、50歳離れている祖父母に鬱病の理解を得ることはとても難しく無自覚な悪意の言葉で病状は悪化。
寝れない上に起き上がれない日が増えた。

ちょうど、元旦那から養育費を請求され出し、愕然。祖父母は◯◯くんがそんな事言ってくるわけがない!と言い張り信じてもらえず。
半月と持たずに、千葉県の別れたい彼氏の元に逃げ帰ったのだった。

(駅構内で2回ほど倒れた。)