michael-angeの日記

鬱の闘病経験と得たもの、心の形について、気が向いたときに書きます。

愛とは

今日、母と食事をした。
まともに会って話をしたのは2年ぶりくらいだろうか?

母とは本当にいろいろあって、まともな親子の関係なんてものとは真逆の仲で、男を取り合ったり、鬱の頃は恨み倒していたり、お互い認めあっているが衝突が絶えない。
そんな関係である。

私が今回離婚の道を選んだことに、母親業を投げ出した自分を多分に責めたらしい。

「今の私なら、みかえるのことを愛情たっぷり育てることができる」

と言った。

それは違う。
母も私も、母親の愛情というものを知らない。
愛はあるが、相手が求める愛の形を察知する能力に疎い。
愛情たっぷり育てることができるっていいきることが、ちょっと違うよ。と諭した。

恋は自分主体である。自己中心。
愛とは、相手を知り相手の求めているものを与えること。
親子であれば、一方通行でよい。
夫婦ともなると、お互いの努力が必要不可欠。

母に「今のみかえるは、本当にいい顔をしている。パートナーが大切にしてくれてるんだね」と言ってくれた。
そういうことなんだろう。